大判例

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大阪地方裁判所 昭和27年(わ)1183号 判決

主文

被告人新田亮を懲役十月、同塩谷栄三郎を懲役一年に夫々処する。

但し、被告人両名に対しては、本裁判確定の日から夫々二年間右各刑の執行を猶予する。

大蔵事務官の差押にかかる肝油ドラム四十五本、石鹸、ローソク合計百三十九箱、甘草十四梱、タラ子九百八十樽(換価代金合計百十二万八千五百円)雲丹二樽(換価代金二千六百円)は、全部これを沒収する。

被告人両名から、各金四百四十三万五百円を追徴する。

訴訟費用中、国選弁護人安井鹿士に支給の分は被告人塩谷栄三郎の、証人塩谷栄四郎に支給の分は被告人新田亮の各負担とし、証人橋本泰に支給の分は被告人両名の連帯負担とする。

被告人斉藤周行、香島藤一、水元健治部、平井勝太郎、松下電器貿易株式会社、岡本重彌は全部無罪。

理由

被告人新田亮は、大正十一年上海東亜同文書院卒業後、満洲、中国方面で各種情報収集等の仕事に従事し、終戦後昭和二十二年日本に帰国後も中・日提携を念願として同様の仕事に従事する一方、昭和二十四年四、五月頃、同学の後輩水元健治郎から松下電器貿易株式会社(以下単に松下と略称する)の重役山本隆義、斉藤周行、堀教八等に紹介され、同人等を中・日提携の理想的経済人と思惟し、自己の中国情勢に精通していること等を話して同人等から全幅の信頼を得、同年七月同会社東京営業所の一部を借受けて事務所を設け、自己の仕事に従事する傍ら、松下の中国方面進出に尽力し、同年九月松下の対中国関係の顧問に招聘せられたもの、被告人塩谷栄三郎は、昭和二年中央大学経済科卒業後、昭和十二年暮頃から昭和二十一年頃迄上海方面に在住して思想関係の実体把握、文献調書等の仕事に従事していたものであつて、両名は互に懇意な間柄であり、中尾勝男は被告人新田とは上海在住当時から、同塩谷とは昭和三年頃から互に懇意な間柄であるが、被告人新田、塩谷両名は、中尾勝男等と共謀の上、免許を受けず且つ法定の除外事由がないのに、情を知らない右松下の専務取締役斉藤周行、水元健治郎、香島藤一、平井勝太郎外数名の協力の下に、朝鮮元山間の物品の輸出入を企て

第一、昭和二十四年十月二日頃、大阪港に於て、平井勝太郎所有の機帆船衣笠丸に、松下の提供にかかる別紙物件一覧表第一表(起訴状添付の一覧表第一号表を茲に引用する。)記載の電気器具類等を積載の上、同月四日同港を出帆し途中博多に寄行の上、同月十九日朝鮮元山に到着して、同年十一月上旬右物件を同所附近に陸揚し

第二、同年十一月二十日頃、朝鮮元山港に於て、右衣笠丸に見返り物資である別紙物件一覧表第二表(前同様第二号表を茲に引用する。)記載の物品を積載の上、同月二十一日同港を出帆し、同月二十七日和歌山県田辺港に到着、同年十二月十二日頃右物品を同所附近に陸揚し

以て、貨物の密輸出入をしたものである。

右の事実は

一、被告人両名の当公廷における供述(但し犯意否認の部分を除く)

二、相被告人斉藤周行、香島藤一、水元健治郎、平井勝太郎、岡本重彌の当公廷における各供述

一、被告人新田に対する大蔵事務官の第一回乃至第四回の質問調書、同被告人の司法警察職員に対する第一回乃至第三回、同検察官に対する第一、二回各供述調書(但し、何れも犯意否認に関する部分を除く)

一、被告人塩谷の検察官に対する第一回乃至第三回各供述調書

一、証人塩谷栄三郎の当公廷における供述記載(被告人新田の分)

一、山本隆義の検察官に対する第一、二回各供述調書

一、大蔵事務官の相被告人香島藤一、斉藤周行、水元健治郎に対する各第一、二回、同平井勝太郎に対する昭和二十五年二月七日付各質問調書

一、同桐本梅之助、南川良雄に対する質問調書

一、谷捨松、荒張武雄の各検察官に対する供述調書

一、坂口久一の供述書

一、大蔵事務官作成の肝油ドラム四十五本、石鹸、ローソク入木箱百三十九個、甘草十四梱に対する差押目録(謄本)

同鱈子九百十九樽、六十一樽に対する差押目録

同機帆船衣笠丸一隻に対する差押目録 を綜合してこれを認める。

被告人等及びその弁護人等は、本件貿易は占領下連合国占領軍に属する米軍の秘密情報機関である湯島機関の情報工作と密接不可分の関係に於て行われたものであつて、同機関の許可があり(或は命令、指示ともいう)輸出入に必要な手続は一切占領軍側に於て行われていたものと被告人等は確信していたのであるから、被告人等は無免許輸出入である事実の認識を欠き無罪である旨主張するけれども、本件貿易の経緯乃至性格は後段認定の通りであつて、湯島機関は連合国占領軍に属するものとは認められないし、湯島機関が被告人等に本件貿易をすることを命令、指示若しくは許可したことも認められない。又被告人両名の当公廷における供述、各検察官に対する供述調書、被告人新田の大蔵事務官の質問調書中には、被告人等は本件貿易については適法な湯島機関の命令、指示若しくは許可があると確信した旨の供述記載があり、更に後段認定のように、被告人新田は衣笠丸が大阪出港の際税関で取調べを受けたので、相被告人斉藤等から進駐軍の許可の真偽につき質問され、これを被告人塩谷に伝えて難詰したところ、被告人塩谷は手続未了につき博多出港迄には完了するよう背後に連絡し、なお博多から進駐軍の将校(二世)を乗船させる旨述べた上、自ら博多へ二世片岡と称する者を乗船発航させたので、新田もこれを信用した旨の供述があるけれども、弁護人提出の証第二号「八月二十三日(弁証第一号には二十五日となつている)了解事項」と題する書面(後段認定のように伊藤述史から橋本を通じて被告人塩谷に手交せられたもの)には本件貿易は飽迄も被告人等の事業であつて、先方(湯島機関のこと)はその成功如何の責任は取らぬ、先方の協力がなければ出来ない様なものなれば初めからやらぬがよい等明記されており、只不可避の事情の下に逮捕等せられたときは救援する旨(此の点について弁証第一号には最後的な援助又は助力のために御厚情に訴えることがあるかも知れない旨記載されている。)記載されているに過ぎないものであつて、これを目して被告人塩谷が適法な許可があつたと信じたとは到底認められない。更に同被告人の検察官に対する第一回乃至第三回供述調書中には「形式では非合法、しかも事件発覚して問題になれば打つ手があるという趣旨は新田も十分わかつている」旨、「此の取引は非合法、しかし問題になれば救いの手が得られることは、新田、中尾に話してあるので了解している。大体自分は昭和二十三年十二月伏木、元山間の密貿易をやり、このことは新田、中尾も知つている」旨の記載があり、同被告人の証人としての当公廷における供述記載の中には「非合法を合法化する魔術を頼みに行つた、合法化の可能性は経験によれば七〇%、危険性は三〇%と考えた」旨の記載があり、当公廷における供述中には「湯島機関の保証とは事後のことであつて、検挙されても事件にならないようにすることである」趣旨の部分があり、又被告人新田の検察官に対する第三回供述調書には「塩谷から背後へやつてくれといわれ七十五万円やつた」旨、第四回供述調書中には「情報工作の為であるが密貿易であることは間違ない」旨の記載があり、当公廷における供述中には「中尾を通じて米軍の保護で品物を出し云々」「検挙されても事件にしない意味云々」の部分があつて、此等の各証拠を綜合し、更に被告人の経歴、当時の職業、相互の交友関係等を併せ考えるときは、被告人等は何れも本件輸出入について必要な手続は一切占領軍(連合国占領軍)側において行われていたものと確信していたとは到底認められないから、右の主張は採用できない。

次に被告人等及び弁護人等は、占領治下においては、占領軍の許可があれば国内法に優先するもので、被告人等は違法ではないと確信したものであるから違法の認識を欠き無罪である旨、又然らずとするも本件輸出入は湯島機関自身の行為であり、被告人等はこれに使役されたのであつて責任はなく無罪である旨主張するけれども、右認定のように、被告人等が適法な許可があつたと信じたとは認められないし、又本件輸出入は後段認定のように湯島機関の行為とは到底認められないから、右何れの主張も採用することができない。

法律に照すと被告人両名の判示各所為は何れも関税法第七十六条(昭和二十九年法律第六一号附則第十三項及び刑法第六条、第十条により改正前の昭和二十三年法律第一〇七号第二十三条による改正の法律による)、罰金等臨時措置法第二条、刑法第六十条に該当するところ、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、各所定刑中懲役刑を選択し、同法第四十七条、第十条により法定の加重をした刑期範囲内で、被告人両名を主文掲記の刑に処し、執行猶予については各刑法第二十五条、沒収については各旧関税法第八十六条第一項(被告人新田の所有に属するもの)追徴については各同条第二項(雲丹百九十八樽、タラ子二千七百二十樽、甘草五十九梱、塩ブリ二百二十三箱は被告人新田の所有であつて他に販売し沒収不能)、訴訟費用の負担については各刑事訴訟法第百八十一条、第百八十二条を夫々適用して、主文の通り被告人等に負担させることとする。

次に本件公訴事実中、被告人斉藤周行、香島藤一、水元健治郎、平井勝太郎、松下電器貿易株式会社、岡本重彌に関する部分(本件各起訴状を茲に引用する―斉藤、香島、水元、平井の分は、前記新田、塩谷と同一の起訴状である)について按ずるに、本件輸出入が被告人等の協力の下に、相被告人新田、塩谷、中尾等によつて行われたことは、前段認定の通りである。

仍て、先づ本件輸出入の経緯乃至性格について按ずるに、証人伊藤述史の供述調書(昭和二十八年十一月二十一日付)証人橋本泰の当公廷における供述、被告人塩谷の当公廷における供述、同被告人の当公廷における証人としての供述調書、同被告人の検察官に対する第一回乃至第三回供述調書、被告人新田の当公廷における供述、大蔵事務官の同被告人に対する質問調書(第一回乃至第三回)同被告人の司法警察職員に対する第一、二回、同検察官に対する第二回各供述調書、被告人斉藤、水元、香島、平井、岡本の当公廷における各供述、同被告人等の各検察官に対する供述調書、被告人平井に対する大蔵事務官の昭和二十五年二月七日付質問調書、証人長谷礼治、堀教八、水上敬介、長岡捷治、竹谷賢一郎の各供述記載、弁証第一、二号の記載を綜合すれば伊藤述史は、昭和二十三年暮頃から昭和二十四年春頃にわたつて、米英の中共や朝鮮に対する政策に誤謬があると思惟し、これを指摘した意見を、米英の首脳部に属する知人に発表したことを、米軍の秘密情報機関と目せらるる湯島機関(東京都本郷湯島の旧岩崎別邸内に在つたものであつて、キヤノン機関とも呼ばれていたものであるが、一般には秘匿され、名称は何れも只前掲各証拠の一部分に現われているに過ぎない)が、聞知してその根拠となる資料を求めたので、これが入手方法を物色していたのであるが、他方相被告人塩谷は、右湯島機関の保護を期待しながらもこれとは関係なく、曽て経験ある北鮮貿易(中共東北地区国策会社と称する利民公司との貿易)を再び実行しようと考え、昭和二十四年四、五月頃前掲中尾勝男を通じて相被告人新田に右期待のある旨を仄かして積荷や資金の提供を求めたところ、当時新田は中・日提携を念願とし中国方面の情勢に深い関心を有し、他面松下電器貿易株式会社(以下単に松下と略称する)の重役斉藤周行、山本隆義、堀教八から前記の通り信頼を得ていたので、松下の中国方面進出の好機であると考えてこれを承諾し、茲に塩谷、中尾、新田間に於て北鮮貿易の協議が調つたので、当時塩谷は右伊藤が湯島機関との関係に於て共産圏内の情報を物色していることを聞知し、同人に同人の秘書格である橋本泰を通じて(伊藤、塩谷間の交渉は以下総て橋本を通じて行われている)右貿易計画を持込み、併せて湯島機関の保護を懇請したところ、伊藤は以前から塩谷に情報活動に相当の経験を有することを知つていたので、同人によつて共産圏内の情報を入手して湯島機関に提供しようと考えてこれを引受け、湯島機関に申入れたところ、同機関は、情報の提供を条件としてこれを了承し、北鮮貿易の計画即ち「船名、乗組員の氏名、積荷の種類、帰港の時期、特に帰港の場所」の報告を求めたので、伊藤はこれを塩谷に伝え、塩谷からその報告書をとつて湯島機関に提出し、同年八月二十五日頃両者間に了解は成立したので、伊藤はその会談の要領をタイプで二通作成し、一通(弁証第一号)を残して他を湯島機関に手交し、塩谷にはその訳文を自書(弁証第二号)して交付したので、塩谷はこれを信頼して貿易の決意を固めたのである。

一方新田は右塩谷の申入れを承諾してから、松下の斉藤等幹部に右貿易が進駐軍の特別許下に基く合法的なものである旨説得して輸出貨物と貿易に要する資金の提供についてその了解を得たのであるが、その間、同年八月頃、新田は松下を中国関係筋に紹介すると同時に、将来中国の各貿易会社との取引を開始するにつき、別に松下の子会社のようなものを作り、「中国方面の経済情報を収集すると共に、松下以外の物品をも取扱い、市場及び取引先の選定等を行い、以て同方面における貿易について松下を援助する」構想を樹て、斉藤等の賛成を得て「福利公司」の名称でこれが設立を計画し、被告人水元、香島、中尾を主要人物としてその準備に着手し、(これは設立するに至らなかつた)本件輸出入の荷物は福利公司の名で松下から提供を受け、更に資金も松下から約七百万円を借受け、これ等の精算は見返物資を輸入して、これを処分してすることとし、名義は塩谷の発意により北海商事の名称を使用し、塩谷、中尾と共同して貿易敢行の決意をしたのである。そして新田は前記の通り松下から荷物と資金の提供を受け、実務には水元、香島を使用し、なお水元を荷物監視のため乗船させ、塩谷は主として伊藤との連絡に当り、中尾は塩谷と新田との連絡に当ると共に香島と共に平井勝治郎を説得して同人をしてその所有にかかる機帆船衣笠丸を就航させ、更に利民公司との連絡に当らせるため、塩谷の代理として打村某、陳某外一名を乗船させ、前段認定のような輸出入が行われたのであり、被告人岡本は被告人香島に説得されて、輸入品の陸揚に協力したのである。(而して情報資料は塩谷から伊藤に伊藤から湯島機関に提供されたのである)これを要するに、本件貿易は、相被告人新田、塩谷、中尾等によつて行われたものであるが、それは占領下一米軍の秘密情報機関と目せられる湯島機関の、伊藤述史の前記意見発表に対する共産圏内の情報の欲求に結付き、これに応ずることを前提とする同機関の保護を信頼して行われたものである。

被告人等及びその弁護人等は、本件貿易は、占領下進駐軍(連合国占領軍)に属する米軍の秘密情報機関である湯島機関の命令指示乃至は許可に基く適法なものであるような主張をするけれども、前掲各証拠によつてみるも、右機関が連合国占領軍に所属するものであるということを認めることはできないし、又同機関が本件貿易をすることを命令したり指示乃至は許可したことも認めることはできない。只前段認定のように本件貿易について、右機関が情報の提供を条件として極めて制限された場合に限つて援助することがある旨の意思を表明したことが認められるけれども、その方法は、帰港地に米軍を派遣して日本官憲の逮捕を免れしむるか、或は日本官憲に逮捕又は差押えを受けた場合には二十四時間以内に報告すれば救援するというのであつて、これはどこ迄も事後のことであり、本件貿易を適法化するものでないことは、前掲証人伊藤述史の供述調書、証人橋本泰の供述、相被告人塩谷の当公廷における供述、弁証第一、二号の各記載等によつて明かである。(此の点についてはなお、前掲相被告人新田、塩谷の判決理由の該当部分を引用する)又仮りに右情報の提供を条件とする右援助の意思表示を命令、指示乃至は許可と解するとしても、同機関には斯様な権限を認むるに足る証拠はなく、更にこのことは連合国の中には米国以外の国も数ヵ国含まれており、連合国は日本の降伏条項実施の為にのみ、日本を管理することになつていた点から見ても、かかる権限のないことは明かであるから、右の主張は採用できない。

然しながら、被告人等は前記相被告人新田、塩谷、中尾等と異なり、右湯島機関の保護の意思表示を如何に認識したかということは、別個に考察する必要があるので、此の点について審究するに被告人等に対する大蔵事務官の各質問調書、各司法警察職員に対する供述調書、同各検査官に対する供述調書中には、夫々米軍の命令、指示、許可ということについてそれが適法かどうかの点につき或程度の疑問を持つていたように認められる記載があるけれども、又反対に連合国最高司令官の特別な許可があり、而も輸出入について必要な手続は一切、塩谷や新田の方で完了したものと確信した旨の記載もあり、更に当公廷においては、その趣旨を繰返し供述しているのであつて、此の趣旨の供述記載や供述と、本件貿易が前段認定のように相被告人塩谷、新田、中尾等によつて密かに計画実施された点、塩谷の検察官に対する第二回供述調書中「此の貿易は性質上極秘を要し、出資者も荷主も一本で、船主、荷主、金主には発言権を与へてはならないのであつて、新田にはくれぐれも話してある」旨の記載、同人の証人としての供述調書中「敵を欺こうとせば先づ味方から欺かねばならない旨」の記載同人の当公廷における松下(斉藤のこと)以下には国内法にふれることはわからない、皆SCAPの命令、指示或は許可と考えていると思う趣旨の供述、同新田の司法警察職員に対する第二回供述調書中「斉藤には日本国の法律以上の強力な手続が可能であるから松下の品物を提供するよう要求した」旨の記載、同人の公廷における「松下の斉藤等二三人に正規の米軍関係からの許可があるので間違ないと説明して援助を求めた」旨の供述、同人に対する大蔵事務官の第二回質問調書中「水元、香島は自分の指示のみに従つて協力した」旨の供述、前段認定のように斉藤、水元、香島等は新田に全幅の信頼を寄せていた事実、山村寿三郎の司法警察職員に対する第一回供述調書中、「中尾、香島が平井に対し松下としてもGHQの承認を得ているし、又所要手続も松下の方でするから安心して衣笠丸を提供せられたい旨述べたので、平井はこれを信用して承諾した」旨の供述記載、被告人岡本の検察官に対する第一回供述調書中「香島からGHQの許可を得ている旨聞かされた」旨の記載、相被告人新田に対する大蔵事務官の第二回質問調書、被告人香島の同第三回質問調書、被告人斉藤の同第二回質問調書、被告人水元の司法警察職員に対する供述調書、被告人平井の当公廷における供述、相被告人塩谷の当公廷における供述を綜合して認められる、本件衣笠丸が昭和二十四年十月四日大阪出港の際税関で検挙されたため、被告人香島は松下の山本と共に上京し十月六日東京芝公園の環翠旅館で被告人新田に斉藤等と共に会見し、右の事実を報告した上、違法であれば中止する旨主張したので、新田は塩谷、中尾を大阪より招致し十月七日東京京橋水明ホテルに於て同人等と会談した結果、席上塩谷、中尾等は手続の一部不備があつたが、博多出港迄には、手続を完了するし、なお米軍将校を乗船させる旨言明し、相被告人新田もこれを保証したので、斉藤、香島等はこれを信じ、更に香島は斉藤の旨をうけて、右言明の実行を確認するため博多に急行し、十月十五日博多で、塩谷から米軍将校(二世)片岡と称する者を紹介され、同人から許可書を持つていると聞かされたのでこれを信じ、被告人平井も同様これを信用して同人を乗船させ、又被告人水元もこれを信用して乗船し、朝鮮元山に向つて出港するに至つた事実を綜合し、更に我が国が、昭和二十年九月二日ポツダム宣言を受諾し、それによつて連合国に所謂無条件降伏し、爾後降伏条項の実施に関しては、日本は連合国の下に立ち、その権力に服することとなり、日本は連合国の管理の下におかれた事実、而してその方式としては、原則として所謂間接統治の方法、即ち連合国(具体的には連合国最高司令官―以下同じ)は日本政府に指令を発し、日本政府が現実に統治を行うこと、換言すれば日本政府に対し、指令を発するのみであつて、日本政府はその指令を受けて現実の統治を行う方針を採られ、而して連合国最高指令官の地位は、米国の占領軍から選ばれたのであるが、例外として、直接国民に指令することも認められていた事実、即ち昭和二十年九月二日の指令第一号第十二項には、日本国の及び日本国の支配下に在る軍及行政官庁竝に私人は本命令及爾後連合国最高司令官、又は他の連合国官憲の発する一切の指示に誠実且迅速に服すべき旨、更に昭和二十九年九月六日連合国最高司令官の権限に関するマツクアーサー元帥への通達には、一、同司令官はその使命を実行するため、適当と認めるところに従つて権限を行使するのであつて、日本国との関係は契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものであり、その権限は最高である旨、二、日本管理は日本政府を通じて行われるが、これはこのような措置が満足な成果を挙げる限度内においてであつて、必要があれば直接に行動する権利を妨げない旨明記されている事実、右湯島機関が米国の軍人によつて構成せられていたと認められる点、而して本件貿易の行われた昭和二十四年当時は、占領行政の実施も軌道にのり法律的知識の乏しい一般日本国民は、単なる一米軍の命令(正規でない)でもこれを連合国占領軍の命令と速断し、これに服従するという心理状態にあつた事実、その他諸般の情状を併せ考えるときは、被告人等は夫々本件貿易については塩谷、新田、中尾等の言により、同人等の手続によつて連合国占領軍の特別の許可が得られたものと信じて同人等の本件輸出入に協力したものと認めることができるのである。

而して、関税法第七十六条の無免許輸出入罪は、所謂法定犯(行政犯)であつて、政府の免許のないことが一要件であるから、該輸出入が無免許であることの認識、換言すれば、何等の手続もなく輸出入するという事実の認識を必要とするところ、当時日本国は、輸出入についても連合国の管理下におかれ、昭和二十年九月二十二日付連合国最高司令官の指令第三号第七項には、本司令部の事前の承認がない限り、日本より又は日本への如何なる製品、商品の輸出入をも許さない旨、又昭和二十一年一月二十八日付指令第三号違反についての指令第一項には、凡ての貨物、製品、商品の日本国内への輸入及び日本国外への輸出は、最高司令部の事前の承認がある場合を除いて許可せられない旨、規定されているところから見ると、最高司令部の事前の承認があれば、輸出入は可能であるから、被告人等が前記のように、本件輸出入について、連合国最高司令官の特別許可が得られたものと信じたことは無免許輸出入罪の構成要件の一である無免許という事実を、錯誤によつて認識しなかつたものと謂わなければならない。尤も右の承認があつても、政府の免許は必要であるが、前掲各証拠(特に輸出物資については報告書を提出している点、輸入品についてはその選択について注意を受けている点)により、被告人等は、右の許可は当時これを包含するものと信じたことが認められるのである。従つて、被告人等(松下電器貿易株式会社については当時の代表取締役斉藤周行)には、無免許輸出入であるという認識即ち犯意なく、結局犯意の証明がないことに帰するから、被告人斉藤周行、水元健治郎、香島藤一、平井勝太郎、松下電器貿易株式会社、岡本重彌については、各刑事訴訟法第三百三十六条により、夫々無罪の言渡をすることとする。

仍て、主文の通り判決する。

(裁判官 上岡治義)

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